HAPPY PARTY TRAIN

 Aqoursのライブツアー『HAPPY PARTY TRAIN TOUR』が始まりましたね。このツアーのタイトルにもある曲『HAPPY PARTY TRAIN』ですが、本当にいい曲ですよね。元々「曲」として好きだったのですがこちらのブログを見てから「歌詞」や「MV」も気になり始めました。
 自分はμ'sのファイナルライブ以降、ラブライブ!シリーズからぱったりと手を引いてしまいました。(とは言っても、「サンシャインも曲はいい」とか思いながらズルズルと曲は追っていました。アニメも見ました。)HAPPY PARTY TRAINも、曲としては初めて聞いた時からエモい曲調だなあと思って好きな部類でした。しかし、自分が元々歌詞をあまり聞かない人間なので、歌詞については何も感じていませんでした。また、その歌詞が結構議論を生んでいるものということも知りませんでした。
 
 HAPPY PARTY TRAINの歌詞の最初に「開いた花の香りから受けとったよ次の夢を」とありますが、この「開いた花」というのがμ'sの『僕たちはひとつの光』で開いたあの蓮の花のことであるかもしれないということに、先ほどのブログを読んで気づかされました。「受けとったよ次の夢を」という歌詞も、MOMENT RING』の「あたらしい夢が生まれてくると 僕たちは知ってるよ」と繋がっている感じがありますし、『僕たちはひとつの光』で誰も拾わなくなってしまった羽を『君のこころは輝いてるかい?』のMVで千歌が拾っていることとも合致します。そして、MVを見ると、この歌詞を果南が歌っているシーンが『僕たちはひとつの光』のようになっている(キャラの背景に花の模様がある)ことに気づき驚きました。ここまでされると本当にμ'sとの繋がりがあるということを意識せざるをえませんでした。
 
 これらの真意は作詞家の畑亜貴さんや他の運営陣にしかわからないことではあります。また、こういう解釈はμ'sを元に考えられているものであり、都合のいい解釈だと思われても仕方ないですが、Aqoursラブライブ!シリーズで出てきてしまった以上、そういった繋がりを意識されてしまうのは必然だと思います。自分は今までその必然的な繋がりについて、悪い言い方ですが「Aqoursがμ'sを踏み台にしている」という解釈をしていたため、とても嫌いでした。サンシャインのアニメでμ'sが出てきた時「AqoursAqoursだけの物語をやって欲しい、もう綺麗に終わったμ'sを掘り起こすのはやめて欲しい」と思っていました。しかし、今になってようやくラブライブ!シリーズの繋がりはそういった上下関係的な繋がりではなく、同じ夢を共有しあう横の繋がりなのだと気づきました。μ'sの物語は終わってしまいましたが、彼女たちの夢はまだ終わらずに受け継がれて続いていて、むしろ、そういった繋がりを考えてこそ、「ラブライブ!シリーズがμ'sで終わらなかったことの意義」がわかるのだと思えてきました。
 
 μ'sが映画で伝えたかった「スクールアイドルの素晴らしさ」と、ファイナルライブをもって解散したことで次世代に受け継がれた夢をしっかりと受けとったアイドルたちが自分たちだけの「新しいみんなで叶える物語」を描きながら輝いていく様子とその過程を見守ることで、μ'sが伝えたかったことの真意がわかるのではないか?そのような誠に自分勝手な動機でAqoursの活躍を見たくなってきてしまったのです。ファイナルライブ以降心にずっとかかっていた靄がすっと消えてきたように感じます。
 
 そんなこんなでようやくAqoursに興味を持ち始めた自分が今の段階で抱いている正直な印象について書いていこうと思います。嫌いなところは本当に自分勝手な意見ばかりなので読み飛ばすことをオススメします。
 
Aqours(サンシャイン)のここが嫌い
・アニメ1期13話
 まずこれですね。アニメをリアタイしていて最終話まではまあなにかと面白かったのですが、最終話の流れは首をかしげざるをえませんでした。ライブ前にいきなり始まるミュージカル、突然席を飛び出して通路に群がる関係者たち、そして最後に一言『君のこころは輝いてるかい?』。最後の一言は「その心、笑ってるね?」の方が良かったんじゃないでしょうか。冗談はさておき、まずミュージカルについてのお話を。
 単刀直入に言って自分はラブライブ!シリーズでのミュージカルが嫌いです。ラブライブ!シリーズでのミュージカルと言えば、μ'sシリーズでの2期1話冒頭のが思い浮かぶ人も多いと思います。そのシーンこそが自分がラブライブ!シリーズでのミュージカルが嫌いになった原因です。このシーンで何が起こったか。穂乃果が生徒会長になりましたね。つまり高校内での世代交代、3年生の卒業の暗示です。1話冒頭でいきなり3年生の卒業を宣言されたようなものでした。ミュージカル的シーンだったので穂乃果の夢であることを願いましたが、その後は何事もなかったかのように物語が続いていきました。そして案の定2期はどんどん3年生の卒業へと話が向かっていきました。そのため自分はこのミュージカル的シーンが嫌いというかトラウマになってしまいました。で、話を戻してサンシャインのミュージカルについて。今までの物語の流れを説明するものとしてはよかったかもしれないですが、話の流れ的にあそこでやる必要あるか?って感じでした。ただ、Aqoursの1stライブで同じようなミュージカルを本人たちが披露していたのは良かったと思います。
 突然席を飛び出して通路に群がる関係者たちについてですが、私たちも輝きたいというサンシャインのコンセプトはわかりますが、もうちょいやりようあるだろと。後述しますが同じ学校の子たちが「10」というのも好きではありませんでした。
 
・ファンと運営
 Aqoursのファンが嫌いというより、μ'sシリーズ2期以降(正確には4thライブぐらいから)のファンが全体として嫌いです。ラブライブ!のファンのマナーの悪さが目立つようになり、いたるところで「ラブライバー」と小馬鹿にされ始めたのがこの頃ぐらいからだと記憶しております。こうなった大きな原因の1つが3rdライブ以降の運営だと考えてます。
 3rdライブでファンが発した「10」という番号とその後の感動的なアンコール。運営はこれをよしと思ったのか、以降「10」の押し付けを始めたように思えます。そして2期以降爆発的に増えていくファンも「10」を言うようになります。3rdライブでの「10」は自発的なものであるからこそ「みんなで叶える物語」となり、深い感動を生んだのだと思います。しかし、それ以降のはどうでしょうか。ライブではわざわざ「10」用の間が空けられたりしていて、それを言うことが押し付けられていたように感じます。そんな当たり前になった「10」で感動できるのでしょうか。2期以降ラブライブ!がいろんなメディアで紹介されたりするようになり、人気は爆発的に増していきました。ファンが増えるのはいいことですが、その分ミーハーな人も増えていきます。そんな中にはマナーが悪くラブライブ!という作品に平気で傷をつけるような輩もいます。ライブではそんな輩も「10」と言います。そんな輩とともに発する「10」は本当に感動できるのでしょうか。感動を安売りし始め、所構わずファンを増やそうとする運営が本当に嫌いでした。ファイナルライブでもその思いは消えず心から「10」ということはできませんでした。そもそも『僕たちはひとつの光』では「10」はいらないと思っていましたが、運営がファンに「10」をいう癖を付けてしまったためにその思いは叶いませんでした。
 そして、なぜAqoursのファンが嫌いかというと、そういったいわゆる「ラブライバー」が多いと思っているからです。今Aqours推しているのは、μ'sに途中から参加して最初から推していなかったのを後悔した人たちが大多数であり、そういう人は2期以降の自分が嫌いなファンに多いと思っています。本当に自分本位な印象で申し訳ないですが、これがAqoursのファンに抱いている率直な印象です。そして運営による「10」の押し付けはサンシャインになっても変わらないとアニメを見て思いました。サンシャインではとうとうアニメの中でさえファンに「10」と言わせています。本当にどこまで安売りすれば気がすむのかと頭を抱えました。
 
Aqours(サンシャイン)のここが好き
・楽曲
 Aqoursの楽曲はμ'sの楽曲とはまた違った、というより全く別ベクトルの良さがあるように思えます。μ'sの曲はライブでめちゃくちゃブチ上がって聞くと元気をもらえるようなものが多いと思っています。9人の個性も曲の中でふんだんに溢れているように感じます。それに対しAqoursの曲はなんか綺麗なんですよね。全員で歌うところもスッとまとまって聞いてて気持ちいい感じがします。曲調もエモい系のが多いですし。(『ハミングフレンド』とか『ユメ語るよりユメ歌おう』とか)逆にエモに寄りすぎてアニメ曲が盛り上がりに欠けるなあといった印象です。また、EDMっぽいのも多いのが最近のアニソンだなって感じもします。(AZALEAの新ユニットシングルとか『Guilty Eyes Fever』とか)μ'sの時ってそれほどEDMはなかったと思いますが。『Strawberry Trapper』や『スリリング・ワンウェイ』のバリバリなロックも好きですねえ。
 
 嫌いなところに対して好きなところが少なすぎな感じもしますが、そこは今後探していくとします。(歌詞とか)嫌いなところはほぼ運営のせいなので諦めてます。もう少し頑張ってください。